2025年7月26日土曜日

7/26 土曜談話会「貝塚のなぞ」

 7 月 26 日 話題提供 Abさん 

  日本では現代にいたるまで、貝を食べてきた歴史がある。しかし、貝塚を残したのは、ほぼ縄文時代だけだ。なぜ縄文人は貝塚を作ったのだろう。

 貝が豊富な地域で、人々が食べた貝殻を他のごみと共に長期間廃棄した結果貝塚になった、というのが「常識」だろう。この「常識」は千葉市の大貝塚の一部などでは妥当だろう。

 しかし私が関わってきた霞ヶ浦沿岸の貝塚では必ずしも妥当とは言えず、「謎」が多い。 最大の謎は、大規模な斜面貝塚があっても、多数の住居址が付近に見つからないことである。

 さらに貝層の中身を精査すると、食物残滓をそのまま廃棄したとは見えない例が多い。貝殻しかない貝塚、鹿猪の骨は多いのに頭の部分は皆無の貝塚、魚骨がまとまって出る貝塚などがあり、縄文人は残滓を分別して、扱いを変えていると思える。

 美浦村の大谷貝塚の場合、貝層の中を掘りこんで墓を作ったり、なぜか人の大腿骨の一部を埋めていたり。犬の埋葬もしている。陸平貝塚では、貝層内に炉を作り、アカニシを回りに敷いたり、貝化石と生痕化石を並べたりしていた。

 貝塚が単なるゴミ捨て場だったとは考えにくい。  縄文人はすべてのものに魂が宿るとするアニミズムだったと考えられている。

 アイヌ民族は、有用なものはすべて神の世界から与えられたものと考え、使用後は神の世界に「土産」つきで「送り場」で「送り」返したという。戸別に設けた「送り場」と共同の「送り場」があり、儀礼も多様という。 

 霞ヶ浦沿岸の貝塚には、いろいろな規模のものがあるが、大規模なものは、共同の「送り場」だったと考えられる。そこに人々が一時期滞在し、協働で漁、猟なども行い、食材の処理、道具の素材の分配も行い、ときには葬儀もしていたのではないだろうか。

 縄文時代前期の人たちは、大谷貝塚に、現在鹿島灘名物のチョウセンハマグリをかなり持ち込んでいた。湾外まで採りに行っていたと思われる。また、人々は島の丘の上にあった美浦村陸平貝塚に通い、数千年間に全国有数の大規模な貝塚を作り上げた。

 霞ヶ浦沿岸地域の人たちは日常的に舟を用い遊動性の高い暮らしをしていたのではないだろうか。 時間をかけて、大量の貝や骨を 1 点ずつ同定し、計測し、記録し、記録を整理し、この地の縄文人の暮らしを時期ごとに解明しようと努めてきたが、次々と新しい謎がうまれてくる。ーーーだから貝塚は面白い!

Abさん(五斗蒔9月号から)

感想 

 誰の声で聞くよりも、信用できて楽しい A さんのお話でした。 

 貝塚を計画的に掘り進める。夥しい出土品を丁寧に分類する。きれいに洗い上げる。分類された個々の繋がりがハッキリ分かるように関連付ける。何時か発表する日に備え大切に保管する。気骨の折れる、忍耐力の要る数十年の仕事の内容をメモして持ち帰りました。 

 翌朝あらためて、私は一人で考古資料館を訪ねました。開館を待って真っ直ぐメインの展示場に入り、初めての訪問者の目で見学して廻りました。かつてない深い感動を体感することが出来ました。 

 貝塚の謎に近づく道は二つある。一つはAさんと同じ努力を惜しまず知的アプローチで理解を進め、派生する謎も愛おしみハグして前進する(生きる)道。

 二つ目は貝塚や出土品を生み出した縄文人の営みを全身で追体験しながら、現代人と共鳴可能なsynchronize)領域を確かめ「一緒じゃ一緒じゃ」と探求していく道です。共鳴できない謎の領域も生じます。二本の道は縄文人と現代人が互いに理解・共鳴できる楽しい第三の道を切り開くものと考えます。 

Ehaさん(老人の夢 83 歳) 

2025年4月19日土曜日

4/19 土曜談話会「おぐろくの森」現地調査

  さわやか隊事務局から「土曜談話会に実際に里山整備をしている隊員の参加依頼」のメールがあり、初めて土曜談話会(4 月 19 日)に参加しました。 

  場所はつくば市六斗にある「おぐろくの森」(稲荷川を挟んだ高崎自然の森の反対側)の約 30 ヘクタールの民有林です。地権者と協定を結び森林ボランティアの「つくばフォレストクラブ」が整備している森です。

 驚いたのは1軒を除く地権者から森林整備に対して 20,000 円/軒の協賛金を得ていることでした。宍塚でも協賛金が得られれば林床整備等の費用に充てられていいなと思いました。 

  森全体がほとんど平地で、林床整備(除草等)はしやすいと感じました。令和 6 年度の森林整備回数は年間 30 回とあり、さわやか隊の定期活動(2 回/月)より少し多かったです。

 手づくりのテーブル、ベンチのクオリティが高く(板の切断面がきれい)、参考になりました(手づくりの切断用ガイドを使っていました)。 

 案内された森には、これから咲く植物を多く見ることができました。木に名前などの表示があり、参考になりました。森林内の観察路を散策する方とも多くすれ違い、近接するつくば市が管理する高崎自然の森と合わせて散策すると森林環境の違いを楽しめると思いました。 

 活動資金の確保は各種助成金やイベント参加費(4 月 26 日に開催されたタケノコ掘りは大人 1,500円とありました)があり、特におぐろくの森に隣接した中泉建設のバックアップ(そば畑の耕運、野外炊飯設備提供など)も大きいとのことでした。

 説明用に配布された「令和7年度計画おぐろくの森の里山維持を目指して」には課題ととりくみがわかりやすくまとめられていました。ホームページのアクセス数も増加し、ホームページを見ての入会者も3名いたそうです。

 さわやか隊員:Oguさん(五斗蒔6月号から)

 

2025年2月22日土曜日

2/22 土曜談話会 「農業・有機・自然農法の疑問、質問に答えます」

 2 月 22 日に宍塚公民館(Zoom 併用)で土曜談話会を開催しました。 

 農業関係の研究機関にお勤めのMineさんに来ていただき、有機農業や自然農に関する疑問に、科学的知見から答えていただきました。 

 事前に会員から農や農業にかかわる質問や疑問を募集したところ、6名から「イネと菌根菌との共生条件」「土つくりについて」「ダイズの青立ちの原因」「家庭菜園での雑草対策」「無農薬栽培下での病害虫対策」「自然農法と慣行農法との違い」「今後の農業の方向性」など多岐にわたる疑問・質問が集まりました。当日解説された質問についていくつか紹介します。 

Q.団粒構造はどうしてできるのですか。 

A. 団粒構造とは土壌粒子が小粒の集合体を形成している構造です。だんご状になった大小の土の塊がバランス良く混ざり合い、適度な隙間が多くなります。団粒構造になると土が柔らかくなり、通気性・排水性・保水性が改善され、有用微生物が多く繁殖し、作物が生育しやすくなります。団粒は、粘土や砂などの粒子と落ち葉や根、死骸などの動植物や動物由来の有機物によって構成され、有機物を分解する微生物が団粒化に大きく貢献しています。 

Q. 鉄還元窒素固定菌を活用した環境調和型農業の可能性は? 

A. 鉄還元窒素固定菌(Deltaproteobacteria 綱細菌)とは、メタゲノム・トランスクリプトーム解析により、2023 年に東大妹尾教授らのグループによって発見された水田土壌において窒素固定を駆動しているキープレーヤーです。日本の土壌には鉄が多く含まれており、これまでの自然・有機水稲など無施肥下での窒素供給や収量が説明できる可能性があります。 

Q. ダイズ栽培における「青立ち」の原因は? 

A. 「青立ち」とは、サヤが成熟し収穫期を迎えたダイズで、茎や葉の成熟が遅れ緑色のままの状態のことで、収穫したダイズの品質を著しく低下させてしまいます。青立ちの原因は、登熟期間の高温、土壌の乾燥もしくは乾燥後の灌水とされます。 

Mineさん(五斗蒔5月号から)


(土曜談話会の感想) 

 国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)の嶺田拓也さんに来ていただき、有機農業や自然農に関する疑問に、科学的知見から答えていただきました。 

 土づくりの基本や家庭菜園での不思議などを解決していただきとても貴重な時間を過ごせました。 

 特に、団粒構造のできる科学的なメカニズムや、鉄還元性窒素固定による窒素分の補給を教えていただき、里山での持続可能な農を作っていく一助になりました。 

 最後には日本の農業の未来といった大きいテーマにも、快くお話しいただき、一人一人が小さな畑を持って、農業ではなく小さな農に関わる未来へ期待を抱きました。 

宍塚からも里山の保全や小さな農のスタイルを茨城県、日本中、世界へと広げられるように活動・発信していきたいと思います。 

最後になりますが、多くの文献を元にわかりやすいご指導を頂き、沢山の議論をしていただきありがとうございます。

Suzuさん


2025年1月18日土曜日

1/18 「段ボールコンポストでSDGs」

 今日は飛び入りでの参加、途中退室となりましたが、参加してよかったです!Tano先生や宍塚の先生方ともお話させていただき、大変貴重なひと時になりました。
 実は、1 年程前につくば市配布の段ボールコンポストを受け取りに行ったまま、設置場所に悩み放置していた所でした。匂いや虫カビの発生等への不安が今日のお話で払しょくされましたので、早速実践していきたいと思います。
 地球温暖化による気温上昇や気候の変化による生態系への影響、人間の生活や子どもを取り巻く環境の変化、そこに大人も戸惑い対応しきれていない現状があると日々感じております。家庭や教育現場でも、熱中症対策などの予防策がやや先行しているように思いますが、やはり同時に CO2削減への積極的参加が必要で、今一度官民、地域一体となり進めてく必要があると今日の講義を聴いて改めて感じました。
 宍塚の生態系への変化を感じてこられている先生方の知見は大変貴重で、身近な生き物、植物をテーマにしたお話は我々親世代や子どもにもその危機感など入りやすいように感じます。
 生ごみをたい肥にするごみ削減活動は、里山を守る宍塚に集まる子どもや大人だからこそ普及しやすい活動のひとつかもしれません。先生方の貴重な知見、中年層の力、若者の力、子どもの力の点や線を結び総力で環境問題に参加していくことが必要で、宍塚大池を取り囲む地区の地域から学校とも協力していけたらいいですね。
 昔から生ごみのたい肥化は田畑では実施されていると思いますが、これからは「家庭用コンポスト」の時代ですね‼
 生物を身近に感じやすい年代(小学校)や環境問題を身近に感じ考察できる年代(中学校)への働きかけに尽力され、高校では研究課題として、実践レベルの課題を研究されている田上先生のチームの取り組みは大変意義深いと感じました。
 つくばスタイル科の授業を受け環境問題について授業を受けてきた娘や、これから受ける息子と一緒に「段ボールコンポスト」やってみたいと思います。
本日はありがとうございました。

Kajiさん(五斗蒔だよりから)







2024年12月21日土曜日

2024/12/21 「里山保全とつながる霞ヶ浦の水環境と生物多様性」沼澤篤さん茨城県環境アドバイザー、霞ヶ浦市民協会研究顧問

 12 月 21 日に宍塚公民館(Zoom 併用)で土曜談話会を開催しました。

茨城県の環境アドバイザーから講師の派遣をいただきました。
講師の沼澤さんは、霞ケ浦の生き字引のような方で、その保全する熱い思いがにじみでていました。
霞ケ浦の歴史、流域の自然生物、水質など幅広いお話がありました。
宍塚の里山は、霞ヶ浦の流域であり、霞ケ浦の一部です。宍塚での活動が、直接霞ケ浦の保全につながっている事を改めて認識しました。
これを機に、霞ケ浦の事をもっと学びたいと思いましたが、霞ケ浦の全体像を知るための 1 冊の本はまだ、出版されていないとのことでした。
ぜひとも沼澤さんが中心となって、とりまとめがされることを期待しています。霞ケ浦の保全には、とにかく多くの方々が関心を持つことであり、その沼澤さんたちの力強さに、未来を感じることができました。 森本信生


要旨(配布資料)


霞ヶ浦流域から河川を通じて湖水に流入する負荷(富栄養化成分)の割合は、生活排水、農業排水、畜産排水、工場・事業場排水などが多い。

魚類養殖は湖内発生の負荷であるが減少している。

森林からの負荷はゼロではないが、少ない。森林は湖水の水質保全に貢献する。
霞ヶ浦流域の森林率は約18%(日本列島全体及び琵琶湖流域の森林率は約65%)であり、東京都や大阪府並みに低い。

霞ヶ浦周辺は景観的には緑が多い印象だが、農地、果樹園の土地利用が多い。
原生林が残る筑波山麓の渓流は、集落排水や石材産業の影響を受けない地区では清流であり、桜川や恋瀬川の水質に貢献している。

一方、土浦、石岡などの市街地の河川、さらに鉾田周辺などの、畜産と野菜・果物栽培が盛んな地域を流れる河川からの負荷は大きい。

里山の平地林は面積としては大きくないが、土壌流出や斜面崩壊を防ぎ、谷津田に農業用水を供給し、河川水となって霞ヶ浦の水源になっている。
平地林面積は、高度経済成長時代(筑波研究学園都市開発を含む)は、ゴルフ場などのリゾート開発、住宅団地・工業団地誘致で激減した。
それは、霞ヶ浦の水質悪化が顕著に進行した時期に一致している。
平地林は、樹木自体と落葉層を含む森林土壌によって「緑のダム」として水源涵養機能を果たす。
平地林から流れ出る清流は溜池に貯められ、下流の農地に少しずつ供給された。
溜池と霞ヶ浦に流入する河川は繋がっており、水生生物の移動回廊である。
ヨシノボリやマシジミの分布は典型例である。カゲロウ・トビケラ類、ユスリカ類、トンボ類などの水生昆虫も含まれる。サギ類、カモ類、ウグイス類、猛禽類など、河川を通じて、里山と霞ヶ浦の間を移動する鳥類も多い。
また、ヤナギ、ハンノキ、エノキ、オニグルミなどの木本類、河川敷の草本類は、河川の水流と鳥類などによる種子の運搬・撒布で分布を拡げる。

里山と霞ヶ浦を繋ぐ小流・河川は動植物の移動に貢献し、生物多様性に寄与している。
霞ヶ浦流域における平地林保全の意義は大きい。

しかし、政治家・行政・企業家・一般住民の意識は薄い。
平地林(里山)は、住民が、そこに生息する生き物にふれあい、自然に親しむことで生物多様性の意義に気づき、環境教育の場になると同時に、水の流れを通して水田、河川、霞ヶ浦との、水文学的なつながりを実感する貴重な場所となっている。







2024年11月16日土曜日

2024/11/16 「小山市の里山保全」

 小山市の平地林保全

土曜談話会 8 月に、栃木県小山市長自らが全日程見学の案内という「すごい」計画でしたが、台風接近のため延期し、今回の訪問となりました。

市長の浅野正富氏は、弁護士で NPO 法人ラムサール・ネットワーク日本事務局長を歴任した方です。2021 年に初当選し 2024 年 7 月再選を果たしました。当会と 30 年以上協力をいただいており、百年亭の寄付の際は、応援メッセージをくださりました。

10 月 6 日には、大阪で活動する「NPO 法人里山倶楽部」の寺川裕子さんと、里山保全についての意見交換会も行っています。
環境問題で活躍した経験がある市長が、環境保全をどのように推進し、成果をあげているのかが全国的に注目されていると思います。

今回は、総合政策部ゼロカーボン・ネイチャーポジティブ推進課の方の案内をいただきました。
地球規模の人類の存続にかかわる環境問題の解決を前面に掲げたこの組織名を見るだけで、小山市の環境問題への取り組みを感じます。
その生物多様性保全、平地林保全の目玉となる雑木林等の見学を 7 人参加で 11 月 16 日に実施しました。


【コウノトリ交流館】
コウノトリは里山に囲まれた河川・池沼・湿原などに生息していましたが、日本では、1971 年に、野外では絶滅しました。2005 年に再導入が兵庫県ではじまり、千葉県野田市でも放鳥が行われています。
渡良瀬遊水地は広い湿地で、コウノトリの生息地として期待できることから、2015~20年に、実物大(1.1m)のコウノトリの模型(デゴイ)を渡良瀬遊水地に配置し、大木の樹上に巣を作る性質があることから、人工の巣台も設置しました。これが功を奏し、2020 年以来繁殖しています。今年も3羽の巣立ちが確認されています。
渡良瀬遊水地に関する情報発信やエコツーリズムの推進、地域活性化のために 2020 年に開館したのが、渡良瀬遊水地コウノトリ交流館です。古民家を改修した展示スペースや事務所、作業スペースの 3 つの建物からなっており、年間 1 万人の来訪者があるとのことです。


【渡良瀬遊水地】
とにかく広い。関東地方4県にまたがる本州以南最大の湿地で、有名な足尾鉱毒事件の現場です。今は首都圏を洪水から守る遊水地としての機能を担っています。2012 年にラムサール条約「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」の登録地になっています。
小山市は遊水地を担当する専門の部署を設置し、市民参加の「ヤナギ・セイタカアワダチソウ除去作戦」が 10 年ほど前から行われており、9 月は 450 人の参加があっ
たそうです。遊水地を見渡す堤防に着くと、間もなく、コウノトリが(5 羽?)歓迎の舞を披露してくれました。
広い湿地に悠々と群れで飛び回るコウノトリはのびのびとしており、いつもデカイと感じるアオサギさえ小さく見えました。


【しらさぎ館南側平地林】
河岸段丘の傾斜地で、脇には小川があります。市外に居住する地権者が、自己での管理が難しいため、市への寄付の申し出があった場所で、平地林の保全のモデルケースとして、現在計画を練っています。
孟宗竹がはびこっていますが、筍を取りながら、管理をすれば、生き物が豊富な森に生まれ変われそう。宍塚の自然と歴史の会の竹林管理の経験を活かしたいと、市の担当の方がおっしゃっていました。


安房(あわ)神社西側平地林】
安房神社の鎮守の森に隣接した雑木林で、林床の植生がよく残っており、水田跡地の湿地もあり、これらを組み合わせると、魅力的な保全場所になりそうです。


【東島田ふるさとの森】
小山市所有の土地で、広さは 2.7ha。保安林に指定され、2023 年後期に自然共生サイトの登録がされています。
西側に一級河川の思川が流れており、クヌギ・コナラなど雑木林で、下草刈などの管理がよくされており、見通しの良い雑木林です。


【憩いの森鉢形】
2023 年後期に自然共生サイトに登録、広さは2ha。農家の母屋がありその周りを屋敷林が取り囲んでいます。
ケヤキが多い雑木林、祠や竹藪などもあり、多様な植生が見られます。地域振興を目指す農家による養鶏が行われ、養蜂などが試みられています。


【国指定史跡寺野東遺跡・寺東遺跡資料館】
工業団地の造成に伴い発掘調査された遺跡で、旧石器時代の石器、縄文時代の大規模な集落跡、6 世紀から 7 世紀に築造された古墳、奈良・平安時代の集落跡などが確認されています。環状盛土遺構や水場遺構、石敷台状遺構、さらには出土した種や花粉をもとに「縄文の森」も復元され、寺東遺跡資料館が併設され貴重な資料が展示されています。


小山市は、地球規模の保全を掲げつつ、地域の湿地や平地林の保全の取り組みを進めていること、市の職員の方の熱意を感じました。
これからも、小山市との情報交換を緊密にし、保全を進めていこうと思いました。

 森本信生





2024年10月19日土曜日

2024/10/19 「この里山を将来に残すにはー土浦市総合計画、土浦市環境基本計画を読むー」 阿部きよ子さん

 この会は多様な活動をしていますが、35 年間、鬼籍に入られた方を含めて、会員たちが、無 償奉仕で力をだしあってきたのは、「開発」で破壊されかねないこの里山を、なんとか将来に残したい、という強い願いがあったからです。


 折に触れ、原点に戻ってみる必要があると思い、今回、市の情報室にある資料、1989 年会発足時からの会報などを読み返しました。


 1985 年、国は東京都市圏広域連携拠点となる業務核都市」6 か所を設定しましたがそのうち 1 か所が土浦市つくば市にまたがる地域でした。

土浦市は、1986 年第 4 次土浦市総合計画で宍塚大池周辺200ha に大学、民間研究所、ホテル、コンベンション施設、公園などをもつ「新業務拠点」形成を掲げます。

宍塚の自然と歴史の会は 1989 年に、貴重な里山が破壊されることに危機感をいだいた市民、研究者などによって結成されました。

 そして、県、土浦市、つくば市に、宍塚・天王池の森を保全する要望を出し、1992 年には県に大池一帯地区の県立公園化を陳情しました。

 一方、研究者や、地元の方々の協力を得て自然、歴史両面での調査を進め、1995年には「宍塚大池地域自然環境調査報告書」、「聞き書き里山の暮らし」を刊行しました。


 1992 年からオニバスサミット、里山サミット、サシバサミットと 3 年連続で開催して、宍塚の里山の価値を全国的視野で深く学びつつ、広める活動を進めました。

市は地権者に「区画整理事業として開発」する同意を取り付けるとともに、土地の先買いを進めました。バブル崩壊により国の計画から宍塚地区は外れますが、第 5 次土浦市基本計画(1996 年~)では、宍塚地区区画整理事業 147ha が明記されます。


 1998 年には「厳しい経済状況から開発環境にない(市長談)」となったのですが、第 6~第9次(2022 年から)まで、いずれの土浦市総合計画でも「開発」計画は残り、第 9 次総合計画の構想図では「工業・流通・業務拠点」と「水・緑・憩いの拠点」の 2 色で色分けされています。


 一方、2000 年に制定された土浦市環境基本条例に基づく土浦市環境基本計画では、環境の現状と課題のところで、「宍塚大池周辺」の自然に触れ、主要施策には「山林と里山」の項で「筑波山麓、平地林や谷津田など里山の自然の保全と生態系の保護」とあります。


 2022 年からの第 3 期土浦市環境基本計画は「人と自然が共生する持続可能な水郷のまち」をうたい、「豊かな生物多様性を支える里山の風景を保全する必要がある」として宍塚大池周辺の豊かな自然にふれています。


 2026 年までのリーディグプロジェクト基本目標2「多様な生物と共生できるまちを目指して」では「霞ヶ浦や里山などにみられる多様な生態系や貴重な種の保護、棲息環境の維持等に努めます」とあります。

資料編―現状では、里山・山林の自然の 22 行の記述のうち 15 行を使って、「市内の代表的な里山」として宍塚大池周辺の里山について述べています。


 この 9 月、宍塚地区にスマートインターチェンジ設置が決定しました。第 9 次総合計画では土浦学園線の北側「スマート IC 周辺地区」が工業・流通・業務拠点と位置付けられており、周辺環境の変化が懸念されます。


談話会で出された意見:

  • 市が保全する方針を出すことが肝心。
  • 土浦市の学校で「泳げる霞ヶ浦」ということは教わったけれど、里山のことは学ばなかった。
  • 宍塚の里山の存在、貴重さを知らない市民が多い状況を変えていくのに、愛されるシンボルはないだろうか。
  • 子どもたちが描いた環境ポスターの多くが「ごみ」をテーマにしたことなどから、自然への関心が薄らいでいるのではないか。

 などの発言があり、スマート IC についてもその位置、影響が話題となりました。


 環境基本計画では市のとるべき「行動」が列挙されており、その中には生物多様性地域戦略策定もあります。

 実効性のある戦略作りに協力するとともに、保全活動、観察会などで市と連携することもできるのではないかと思われます。


 談話会後、国の業務核都市構想以前、市は宍塚の里山をどう捉えていたのか知りたいと、土浦市と都市環境計画研究所の名前で 1980 年 3 月に出された「緑のマスタープラン策定調査報告書」を閲覧しました。

 そこでは、宍塚「大池周辺は植生の自然度が高く、貴重な動植物が生息している地域で、保全の必要がある」と書かれ、風致地区指定の必要の優先順位として宍塚・大岩田、常名・沖宿 合計 558.7ha が示され、構想図に「大池風致歴史公園」が大きな〇で示されていました。

 この「調査報告書」は埋もれ、「緑のマスタープラン」は策定されませんでした。しかし、保全策が検討され、風致地区として土地利用に規制をかける策が考えられたことがわかりました。


 1970 年代以後のつくば市の変貌を目の当たりにしての「開発」熱で、土浦市は真に誇るべき宝=「豊かな自然と歴史遺産」から目をそらしてきたように思えます。

 今また、つくば市の人口増、TX沿線の変貌に惑わされて、大切な宝をさらに失うことにならないよう、私たちの会も初心を忘れず、活動していきたいものです。


阿部きよ子








7/26 土曜談話会「貝塚のなぞ」

 7 月 26 日 話題提供 Abさん    日本では現代にいたるまで、貝を食べてきた歴史がある。しかし、貝塚を残したのは、ほぼ縄文時代だけだ。なぜ縄文人は貝塚を作ったのだろう。  貝が豊富な地域で、人々が食べた貝殻を他のごみと共に長期間廃棄した結果貝塚になった、というのが「常識...